自分が認識している世界が何故現実だと言えるのか?
朝目を覚ましたとき、それが夢では無く現実だと何故言えるのでしょうか?
私は寝る前に記憶した情報と朝目を覚ましたときの状態が地続きで繋がっているから現実だと判断して、いつも通り顔を洗って、歯を磨いて、服を着替えて出勤して行くのですが
そもそも自分の記憶が正しいと何故言えるのでしょうか?
アニメの攻殻機動隊では電脳という技術により、他人の脳にハッキングしたり、ウィルスで人の記憶を操作したりする描写がありますが
そんなSFの世界で無くとも、そもそも人間の脳自体曖昧で都合の良いように出来ていると思うのです。
子供の頃に自分が体験したと思っている出来事が、実は他人から聞いた話でそれを自分の中で実体験として変換してしまっていたり
他人の態度や振る舞いを都合の良いように解釈して好かれていると勝手に思い込んだり
年齢を重ねて他人と関わる機会や外部から得た情報が一定値を越えると、記憶のハードディスクは不要とおぼしき情報を消したり記憶同士の関連性からフォルダ毎にまとめてくれているように、私は勝手に思っています。
よく思い出補正とか、体験したことを美化したりするのは悪い面を不要な情報として処理してしまっているからで
ネットや他人からの情報を自分が体験した様に錯覚してしまうのも情報のインプット元の記憶を忘れているからじゃないでしょうか
若い頃はいくらでも情報を取り込んで行けるように思っていましたが、この情報社会においてはインプットされる情報が余りにも膨大過ぎるのかもしれません。
飛躍した考えになってしまいますが、今後ゲームやアニメ、映画や舞台等外部から得た情報と自身の体験した記憶の境目が脳の処理よってどんどん曖昧になって行く様に私は感じるのです。
メディアやエンタメはどんどん進化して新しい体験を追及して行きますが、人間の脳はその進化について行けるのでしょうか?
現実と虚構の境目が消えたとき、人はどうなってしまうのでしょうか?
馬鹿げた考えとは思いつつも
ふとそんな不安でいっぱいになってしまうのは、私だけでしょうか